〜アジアの風にのって 素朴なぬくもり おとどけします〜

2016年4月17日日曜日

褪めない想い♡愛しのカレンシルバー

こんにちは。ガネーシャです。
久しぶりにパーツの箱を開けてみました。

宝箱

中にはカレンシルバーの部品、モチーフ、パーツがぎっしり入っています。
パーツごとの管理は別にしています。
こちらは「こんなんありますが・・・どれ使います?^m^」的に用います。
意外と重たいのですよ、コレがね。。。^^;

shop-ganeshaのはじめの頃は、カレンシルバーがメインのネットショップでした。
カレンシルバーというのは、カレン族の作る銀細工のことです。
元々、シルバー好きだったんです、わたし。
でも、なかなか気にいるものがなかったので、銀細工や彫金を習って自分で作りたいわ〜と思っていた頃に出会ったのがカレンシルバー!
ほんとうに愛らしくて飽きなくて馴染みがよくて、こんなに万能なシルバーは他にないんじゃない?と思いました。
最初はフォルムと刻印に魅了されてバングルからリング、ピアス、そしてパーツでネックレスやブレスレットを組んでいました。
いやいや、過去形じゃなくて現在進行形ですね。
今も魅了されつづけています。
だって、ほんとにカワイイんですもん♡カレンって!!

天邪鬼気質のわたしは、大衆に浸透してくると一気に褪める傾向がある。
流行りだすと一気につまらなくなる。
流行というのは所詮人為的につくられるものなので限界がある。
そうするとまたリバイバル的に懐かしいものが流行りだす。
干支ひと回り以上アジア屋さんをやっていると、そういう商品も正直あります。
でも、他の物事に比べるとグッと少ないので救われます。
今は淘汰されて、きっと一生褪めずに好きなモノたちが残っているような気がします。

逆に言うと、褪めてないのに物が無いものが多いです。
アンティークやオールドなどは流通する数量にも限りがあります。
欲しくても手に入らないモノはとても多いのです。
少数民族の手仕事モノは特にそうです。
古いものじゃなくても今でも作り続けることが出来たらいいのだけれど、これはグローバル化はげしい21世紀という時代のせいでしょうか、彼らの生活から手仕事はもう昔の暮らしの産物になってしまった民族がとても多いのが現状です。
ことに銀細工の技術を残している民族っている?って感じです。
技術は残しても民族オリジナルのシルバーを作っている民族っている?って感じです。
アンティーク&オールドの少数民族の銀細工を少数民族自身が知らない世代になってきました。
そんな中で【カレン族のカレンシルバーはいまどき一体どうなんだ?】というテーマを持ってカレン族の村のひとつを訪ねてみたのが2016年3月12日、ついこの間です。^^;


http://at-ganesha.blogspot.jp/2016/03/3_14.html

今回訪ねた村は若い世代も手仕事を続けていました。
なぜでしょう、わたし、とてもうれしかったのよね〜♡
何度もありがとうありがとうって、みんなに言ってました。
「何がありがとうなの〜?また遊びにきてよ♬」と笑われとりました...^^;

銀細工の村はひとつじゃないので、他の村にも機会があったら訪ねてみたいと思います。

【どうしてカレンシルバーは作り続けられるの?】
きっとそういう疑問がわいてくると思います。
カレン族とひとくくりに言いますが、数種類の族に分類されます。
タイに住むカレン族の中でもカレンシルバーを製作するカレン族は、元々はビルマ(現ミャンマー)の難民でした。
今現在、ビルマは経済成長も著しく軍事政権ではありながら少し平和な風潮を取り戻したかのように見えます。
ビルマがミャンマーに国名を変える事情やその背景を少し勉強していただければおわかりになると思います。
その昔、少数民族の迫害もはげしい時代もありました。
わたしはビルマのカレン族の現状は現地調査に行っていないのでよくわかりませんが、カレンゲリラという組織の名前はまだ記憶に新しいものです。
とても民間人が個人で調査に行くような場所ではないほど危険でした。
ミャンマーは今でもそういう場所があるようです。
土地を追われ迫害を逃れて流れ着いた先は隣国のタイランド。
タイからすれば彼らは密入国者です。
でも、仏教国タイの王様は彼らに人道的な施しをされました。
住むところを与える。
仕事を与える。
その時に与えられた仕事の中に銀細工もありました。
彼らの元々の銀細工とは形状が違いますが、暮らしの中にあるものを象ったり、アカ族やモン族やヤオ族のシルバーを研究して作られたのが所謂『カレンシルバー』の始まりです。
どれくらい前の話?
20世紀の真ん中あたり、ほんの数十年前の北タイでの話です。
タイの王様はご高齢ではありますが今もご存命ですよ。

で、どうしてカレンシルバーは作り続けられるの?
疑問を解決しないとね。。。(汗)

・「カレンシルバー」という銀細工の成り立ちが比較的最近であること。
・現在でもその技術が彼らの生きる術であること。
・そして彼らはタイの地で穏やかな今の暮らしを守り続けていきたいと願っていること。

上記は今回の訪問でわたしが感じたことです。

そもそも、この疑問に正解があるのかしら?
学者先生の中には研究されている方もいるかもしれません。
でもね、人が生き続ける中で起こる出来事に正解ってないような気がします。
歴史学も民俗学も今生きているワタシ達の出来事が、後々評価される学問のような気がします。
太古の昔から近代現代まで、「もしかしたら、そうだったのかもね」とか「きっとそうだったんじゃない?」と、修まりどころはずっと後になるような気がします。
正解のない中で「なんで?」「どうして?」「どうやって?」という探究心は、「実物が見たい。現地へ行きたい。実際に会いたい。話をしたい。」という厄介な欲求という消えない煩悩をわたしの中に産み続けています。(笑)
ひとりフィールドワークをする中でわたしが感じたことは正解じゃないかもしれないけど、わたしにとっては、どれもこれも「愛おしい」と想う力になっています。

商品という形あるもの、形になる前の営み、作る人、お気に入ってくださる人、人々の暮らしやふれあい、そのすべてがわたしは愛おしく思います。
でも、思いも想いもうまく言えないものですね。。。

〜アジアの風にのって 素朴なぬくもり おとどけします〜

もどかしさの集約がこのキャッチコピー、、、きっとずっと使っていくことでしょう。

ごきげんよう。