〜アジアの風にのって 素朴なぬくもり おとどけします〜

2016年8月26日金曜日

子と親

こんにちは。
今日はめちゃめちゃ個人的意見です。

出勤前にテレビ見たら女優さんが記者会見してた。
芸能人だから仕方ないわね...より、まさかうちの息子が...ですよねぇって、ちょっと気の毒になった。
彼女の息子も22才だってね。
うちの4号と同じ歳だがね...って、同情というより、ただただ気の毒だとしか言えない。

子どもの帰りが遅いわねって思うと、事故にあってないだろうか?とわたしはバカみたいに心配した。
みんな二十歳をこえた大きな子どもになっても心配しないことはない。
夏休みで帰省中の4号は夜たまに地元の友だちと集う。
いろんな事件が続くと、 埋められてないかしら? 埋めちゃってないかしら? 女の子でも男の子でも傷つけるようなことはないよね? って、またバカみたいにちょっと心配する。
息子も友だちも特別どうってことない普通の子たちだけど、キョービの世の中は普通だから大丈夫とは限らないわねって世を憂う程に大なり小なり若者絡みの事件が多すぎる。
記者会見で「ご自分の子育てについてどう思われますか?」みたいな質問があった。
どんな人でも普通に常識のある人間なら、犯罪者にしようと思って育てる人なんか誰もおらんだろう。
みんな健やかな成長を願うだろう。
健やかって体だけじゃなく心もだし、環境も健全であってほしいと願うでしょう。
それなのにそんな質問されちゃどう答えたらよいかわからんよねぇ...て、また気の毒になった。
最後まで見てないから、どんな会見になったか世間の声はよくわからんけど、仕事を続けていくことが自分の贖罪だというのは、芸能人である彼女にとってそれしかないよね...とほんとに思った。

人間て、生まれてから死ぬまで何があるかわからんよ。
自分から見て思いどおりに育って良い子だと思っても、社会や他人様から見たらどうなの?ってこともある。
わたしは昔から子育て関連の諸々な体験談が苦手だ。
言うよねぇーーー(゜o゜;って、そのスタンスに驚くわ。
ご自分の子育て経験に関することを個人的な枠を越えて本にしたり、セミナー講演会をなさったりしてる人も多いけど、どこからそんな自信が湧いてくるんだ?と不思議に思うのは今も変わらない。
わたしの子どもらは、ガチゆとり世代だ。
ゆとり世代の親は、なかなか教育熱心な方が多い。
地元の田舎町では、学校は「ゆとり」を推奨するが、教育熱心さを子育て自慢大会のように親たちは競い合っていた。
お稽古事、塾、課外活動に「子どもの為でしょ!」と費用を払い、送迎時間も惜しまない母親たちが増殖した。
余談ですが、「ゆとり」って何でしょうね?
気持ちわるい。。。

親子だけど、別々の違う人間。
腹にいる時は一体だけど、産み落とした瞬間から別の生き物。
「子育て」という言葉も違和感がある。
子育ての期間は、この世で別の命を預かって養育してるだけだと思うから。
子はいつまでも小さい子じゃない。
自分より体も大きくなるし、今じゃ18で選挙権がある。
大きな子になっても親子であることは変わらない。
一番身近で血の繋がりと情で結ばれてはいるが、一番身近な他人でもある。
わたしは教育熱心な人たちから見たら、かなり薄情な母親だと思われていた。
「他人様からどう思われようと知ったこっちゃないわ」で貫いてきたのは、競争にエントリーする物理的な余裕がない。
余裕があってもエントリーする項目がない。
項目があってもエントリーする興味も意味もない。
子どもに「一番になれ」「レギュラーになれ」と願ったこともないし、「(いわゆる)良い学校に行け」と願ったこともない。
わたしが願ったことは、健康と思いやり。
そして、人は環境が育てるというけれど、良い環境であれ悪い環境であれ、溺れるのも染まるのも、反面教師とするのも、自分で考えることが出来るような人間になってほしいと願ってきた。
今のところ健康のようだけれど、この先はわからんよね。
思いやりは、他人様から見たらどんなもんか・・・わからんよね。
自分で考える人間になってるかどうか、これもわからん。
ごめん、わたし自身だって50過ぎてもどれもまだわからんし。。。(汗)

どうやら結果の見えないことを願ってしまったようだ。
きっとわたしは、死ぬまで子どもに願うだろう。
知られることなく小さく地味に願うだろう。
「おかあ、要らんお世話や!」と叱られちゃうようなおばさんやおじさんになっても、願い続けるババァでいるだろう。
そんな気がする。
わたしの子育ては死ぬまで終わらない。
それが親子かもしれない。
親でもあるがわたしも両親の子でもある。
子として老いた親に願うのも、やっぱり健康と思いやり。
家族、愛情、絆、、、優しい素敵な言葉で飾っても親子の因縁は命の業を背負うことかもしれない。
因縁であれ業であれ、命は大切に育んでいかんといかん。
ロクデナシのわたしをそう思えるように仕向けてくれたのは四つの命だと思う。

13/07/2016 in Chiang Mai
モン族村の親子